Web Masterの情報
archaic仏Top-Page>05: About this site>Web Masterの情報
|
|
■ About this site…そして、管理人について!
さて、このサイトの管理人toshiでございます。
興味もって、いろいろ読んでくださいました方、ありがとうございます。
また、立ち寄っただけの方にも感謝です。
toshiは修理の世界に入って、すでに、10年以上たちました。
10年という時間は長いようで、短い時間でもありました。
多くの人は仏像が好き!といいます。
まあ、どちらかといえば好きかな…という人も加えれば、ほとんど、9割以上の人は仏像が好きなようです。
実際、仏像が嫌い!という人は今までに会ったことがありません。
(螺髪が苦手という人はいましたが。)
ですが、その”好き”という想いは、多くの人にとって、特に若い人にとって、信仰の対象としてではなく、美術品、あるいは日本の歴史・文化の象徴としての
”好き”なんだなと最近感じるようになりました。
いわば、インテリアとしての仏像です。
昔の人の話を聞くと、修理の世界でも、例えば、年輩の人は地蔵菩薩の修理を
(地獄に連れて行かれる?)嫌がったりしたそうです。
そういう感覚は修理の世界でも一般の世界でも、ほとんどなくなってきたと思います。
仏教は6世紀に日本に渡来し、気の遠くなるような長い年月の間、国から個人から…
、仏教に多くの力と富が注ぎ込まれました。
今残っている、仏像…その他仏教遺物はそれらの結晶ともいえます。
仏像の造像が絶頂を迎えたのは、平安〜鎌倉初です。
この時期には、貴族の権力と富が仏教美術に注ぎ込まれました。
仏像はその当時の文化の最先端。
面白く思えるのですが…文化は金と力が集中する場所に生まれる!ということです。
仏像もそれらの副産物でした。
(ですが、二度と、仏像が文化の桧舞台に上ることはないわけです、
そういったことに思いをはせると、
…すこし、切ないような気分になります。)
それら仏教の一つの結晶である仏像をインテリア的にとららえるというのは、
ある意味、ものすごく贅沢といえます。
古仏がポンと一体あったら、なぜそんな形状なのか?何のためにその持物を持つのか?
どうして、その脇時を従えるのか?どうして、そんな印相をするのか?…全て理由があるわけです。
ですが、そういった理由はすべて忘れ去られ、表層の見た目のデザイン…一部のみが、良しとされる。
人によっては、そんな表層の一部だけなんて意味ない!という人もいるでしょうが、
私は”潔い”というかサッパリしたものを感じます。
こういう風に、知識や意味が風化していき、モノだけがポンと残る。
ああ、化石みたいだなと感じます。
謂わば、文化の化石。
子供は化石とか好きですよね。
私も小さい頃、化石を見ては、いろいろと想像を膨らませたりしました。
仏像もそんな化石の一つになりつつあるように感じます。
仏像を仏教美術をインテリアとして見るというのは、この化石としてみるということです。
また、化石になるくらい上質な想いの結晶でした。
恐竜にせよ仏像にせよ、多くの人が魅了されるのは、
そこに命の流れと輝きを感じるからだろうと思います。
みなさんはどうお感じでしょうか?
|
@ copyright@Webmaster toshi All rights Reserved.
|