ファンタジーなどで、
よく花の中にいる妖精などの絵を見かけることがありますが、
ぷっちりしていて、可愛いですよね。
でも、仏も花の中にいるんですよ。
仏像を見られたことあると思いますが、何の上に乗ってるか知ってますか? 如来や菩薩が乗っているのは蓮華座といって、蓮の花の上に乗っているんです。
つまり、あの松ぼっくりのようなものは、 蓮華の花を抽象化したものなんです。
あの花弁、一枚一枚を蓮弁といいます。
要するに花びらです。
時代的には、古いものの方が、花の具合が良く表現されています。
江戸時代ぐらいになるともうなんだか、花だかラフレシアだか見分けもつかなくなりますが…。
仏にとって蓮華は(レンゲソウじゃないよ)特別な花なんですよね。
持っているのは、たいがい、 蓮華ですし、座っているのも蓮華。
仏って、蓮華の妖精みたいな感じがします。
梅や桜…ではないんですね。
蓮華でなくてはいけない。
梅や桜の精だと仏ではなく神になってしまう。
牡丹は幽霊かな…?
蓮華っているのは仏教の中では特別な花で、
「汚濁した泥の中から、あんなにも美しい花を咲かせる」
という、感動がまずあったんだろうと思います。
その感動と仏教の教義というか理想が一致したことが、仏の座として、
蓮華が選ばれた理由かもしれません。
桜や梅だと、潔すぎるんですよね。
仏教的なというか、インド的なねちっこさを表現するには、もの足らない。
汚濁、生活臭、病苦、死、苦しみ、を飲み込みつつ、さらにそれらを昇華しつつ
形而上までもっていく…。
やはりこれは、泥の中から、あれだけの花を咲かせる、蓮華でないと無理なのでしょう。
ですから、仏教には蓮華がたくさん出てきます。
日本の国花は桜ですが、仏教の花は蓮華ですね。
完全に。
その他、仏教では花が使われまくります。
元々、インド出身ですからこゆいんです。
桜だと、武士道の方と結びつきやすいですね。
散るときは桜のように潔くあれ!みたいな感じです。
花と宗教はとかく結びつきますが、日本の中では神道…神と言ったときに
あんまり、結びつかないのが不思議です。
お供えするのも、”よりしろ”の為の榊ですものね。
花がないなぁ。
もっとも、日本の仏教の仏像も、当初のバタくさい感じから、時代を経るにしたがい
だいぶ、さっぱりしてくるんですが…。
平安ぐらいまでは、まだ、微妙に湿っぽい色気 が残ってますよね。
微妙に湿っぽい色気…、コレが日本の美の本質だと思います。
個人的にはですが。
桜の色気ですかね。
インドは蓮華の民。
日本人は桜の民。
中国人は…牡丹かな?
ステレオタイプですが今回は強引にコレでまとめときます。
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