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仏像に魂ってあるの?

仏像の魂はどこにいく
たまに、年配の方から仏像を修理していて怖くなりませんか?
と聞かれることがあります。
仏像は信仰される特別な存在ですし、見たら目がつぶれるだの、触ったら祟りがあるだの祟り神みたいな仏像がたまにあったりするからかもしれません。

昔から人型をしたものには魂が宿るなどといいます。
特に日本の場合、傘や茶釜はおろか言葉にまで霊が宿ってしまうくらいですから、仏像や人形などは特別に何かを宿してしまい易いものなのかもしれません。
古代から人形は呪詛の道具としても使われました。たまに、私の父が※「ひとがた」でお祓いしてくれるのですが、それなどは私のケガレや災悪などを身代わりとして引き受けてくれるわけです。
これが悪い方に行けば、呪いのわら人形や、ブードゥー教の泥人形になるわけで、根本は、人の形をした「もの」には特別な力が宿るという素朴な想いは世界中で同じかと思います。

仏像も同じく、魂を持っていると考えられています。
ただ、その魂は、破れ傘や茶釜のような古いものに自然に宿るような百鬼夜行の類の魂ではなく、特別な御霊です。
仏師が仏像を彫っても、それは木材が形を変えただけで、仏像の姿をしているけど、実は仏像ではない。そんな考え方をします。
「仏像の姿をした物体」を「仏像」にする為には、僧侶が「開眼」をする必要があります。
開眼供養を受け特別な御霊を入れて、初めて仏像は仏像になるわけですね。

現代でも、一部の人々に絶大な人気を誇る「高級ドール」について、購入時に望めば、友人などを招いて「お迎えセレモニー」ができる辺りは現代版「開眼供養」だなと感じます。

反対に、仏像から御霊を取り出すときもあります。
仏像は修理をする前や博物館などで展示をする際に、「御霊抜き」を行います。御霊を抜いて初めて、仏像はただの「物体」になります。
「御霊抜き」の所作は普通の法事を見ているようで、時に変わりばえしないものですが、 数分で済んだという人から、数時間やったという話まで聞き、僧侶によって随分と想いが違うものだなと感じます。

そんなわけで、博物館や美術館に展示してある仏像は、みんなただの物体。
仏の抜け殻みたいなもので、叩こうが、蹴ろうが、ただの物体である以上、天罰の畏れもなく、警備員のおじさんに怒られる程度で済んでしまいます。
当然、修理中の仏像もただの物体です。
修理中は完全にバラバラにすることも多いですから、これに御霊が入っていたら、阿鼻叫喚…人間で言うなら、麻酔無しの大手術の様なもので、さぞかし、祟りがあるだろうなと感じます。
 
ただ、ぼんやりと感じるのは、展示中や修理中の仏像はただの古い物体の訳ですから、御霊が入っていないことを良いことに、別の百鬼夜行の類の魂が勝手に住みつかないとも限らないかもしれません。
そうなったら、仏像も呪いの日本人形も全く同じですね。
ある朝、仏像の螺髪(※らほつ)が伸びていたら、恐いと言うより、湿っぽい気分になりそうです。
ともあれ、祟られるのはイヤなのですが、仏でも神でも人形でも、魂が入りやすそうなものは礼を尽くしてあつかうぐらいしか、自衛手段がないなぁと思います。

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